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あのボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の舞台となった橋が、平和の象徴に「世界文化遺産」に登録!

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ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争、世界文化遺産、橋、平和
先月、日本の富士山が遂に世界遺産に認定され、話題をよびました。
世界遺産や文化遺産は、その名の通り歴史を残し、次世代に伝えていく目的があり
ます。
海外にも数えきれないほどの遺産があり、同じ数だけ歴史があります。
中でも今日ご紹介したいのは、多くの死者を出したボスニア・ヘルツェゴビナの紛争の舞台にもなった、歴史的な橋『ヴィシェグラードのメフメド・パシャ・ソコロヴィッチ橋』

遺産名:Mehmed Pasa Sokolovic Bridge in Visegrad
ヴィシェグラードのメフメド・パシャ・ソコロヴィッチ橋
国 名 :ボスニア・ヘルツェゴビナ
分 類 :文化遺産
登録年 :2007年

橋の歴史

400年前のオスマン帝国時代に着工。
ボスニアの東部、ボスニアとイスタンブールとの間の主要路上のドリナ川に架かる全長約180m、幅約4mの11連アーチの石造橋。
中央部には張り出したテラスがあり、かつて民族に関係なくコーヒーを飲み語らう人々の交流の場になっていたそうです。
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ユーゴスラビアからの独立時、独立の可否や国のあり方をめぐってボシュニャク人、クロアチア人、セルビア人がそれぞれ民族ごとに分かれてボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で戦った場所。

セルビア人は、イスラム系住民を橋から突き落とすなどして虐殺。
およそ3年半以上にわたり全土で戦闘が繰り広げられた結果、死者20万、難民・避難民200万が発生したほか、ボシュニャク人女性に対するレイプや強制出産などが行われ、第二次世界大戦後のヨーロッパで最悪の紛争となった。
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戦後、9割がセルビア人が占めるようになりました。
未だに領土争いや旧住民の帰還をめぐって民族間の対立が残る地域は各地にあり、政情が急変したりテロ行為も続いているのが現状です。
また、地雷や爆発物の位置は完全に把握できていないそう。

現在の宗教とその割合

ムスリム人  約44%
セルビア人  約31%
クロアチア人 約17%
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最後に

この国の信仰宗教はそれぞれ異なりイスラム教、セルビア正教、カトリック教の3つからなります。
確かに同じ国に全く違う習わし、風習、文化が入り交じっていたら、やはり自分が信じているものが正しい一番と感じてしまうのは当たり前で、今に始まったことではなく、古くから何度も何度も争ってきたその国の歴史があります。
私たち島国にも昔はキリストを広めようという動きがありましたが、日本は踏み絵を用意し、鎖国してきました。
だから今の独特の日本文化があるのだと言えますね。
この『ヴィシェグラードのメフメド・パシャ・ソコロヴィッチ橋』について知って、過去に何が行われたか、日本の皆さんにも知ってもらえると幸いです。

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