最近、実家に帰って両親に娘を預けた時、はっと気づかされたことがあります。
娘は両親にとても懐いてどこ行くにも後をついて行きます。
それでも普段通りの生活の中で、日々行っていることがありますよね。
例えば掃除洗濯、家事など一日家でやることはたくさんあります。
それを、娘に楽しく教えがら行っていたのです。
庭に落ちた落ち葉をどっちが早く拾うか。
珍しい鳥や、植物を後で一緒に図鑑で調べる。
生き物や植物にお水やご飯をあげる。
ちぎる並べる、洗うなどの調理は娘に任せる。
洗濯物をたたんでしまう。
もちろん筆者も同じようにお手伝いをさせていますが、両親の場合は身の回りのこと全てが遊びの一環のようだったのです。
視て、聞いて、触れて、なめて、においを嗅いで。
積み重ねた実体験こそが、子どもたちの財産になるのす。
その過程を促すことが教育の基本だと改めて考えさせられました。
あとで後悔したくない症候群のママ
平日は幼児教室、リトミック、ベビースイミング、体操、英語と、まだオムツをつけてよちよち歩いているうちから早期教育に熱心な方がいますよね。
そう言うママとはどこかで顔を合わせてもなかなかゆっくり喋る時間もなく、またお子さんもいつも目を擦っていて疲れていそうで居た堪れなくなります。
子どもに十分な時間とお金をかけて「子どもが将来安定した生活を送れるように」と考える方が最近多い気がします。
しかし、早期教育にはほとんど意味がないことをご存知ですか。
能力は生まれ持った遺伝子に左右される
子どもの能力や才能、そして性格までもが環境要因よりも、むしろ遺伝子の力で大きく左右されることが証明されています。
子どもが育つ環境のなかでも、教育環境がとても重要なのです。
理数系、文科系か、あるいは運動能力、音楽、美術センスなども教育効果よりも生まれつき決められている部分のほうが大きいのです。
子どもが興味を持ってやりたいという意欲があれば、どんどんやらせてみたらいいと思います。
ただし、みんなよりも早くできるようにはなっても、小学生低学年で大体は同レベルにまで子どもは成長できるのです。
早期教育で物理学者やプロに慣れるとは限らない
小さいうちから英語を習っていたとしても将来、外国人と英語でコミュニケーションがとれるようになるとは限りません。
勉強に関しても、小学校に入学した当初に、計算問題を解くのが他の子よりも少し早かったり、ひらがな・カタカナの読み書きも受け答えがやっていなかった子と比べると少し早いといった程度でしょうか。
幼稚園の年中のころにこれらをマスターしたとしても、そのときは同級生をリードしたところで、その〝貯金〞は、小学1年生の1学期か2学期あたりにはあっさりなくなってしまうのです。
今はPC一台で世界中が広がる時代
先取りの早期教育に時間をかけるぐらいなら、子どもには机上では味わえない体験をたくさんしてほしいと思いませんか。
画面上を指をスクロールするだけで、世界中のあらゆることが体験できる時代です。
だからこそリアルな体験、つまり実体験が重要になってきます。
あとがき
幼少期に二人の時間を楽しんでお家でゆっくり過ごしたり、色々な所に連れて行ってあげれば良かったと後悔しても、もうその可愛らしい時は戻っきません。
もちろん、教育熱心なママを批判しているわけではありません。
子どもへの愛情が「将来、苦労させたくない」「豊かな生活をさせてあげたい」という思いとなり、その結果、早期教育を始めたのでしょうから。
まずは今の生活で子どもが幸せを感じているかどうか考えてみることでしょう。