筆者の娘も3歳になり、徐々に手がかからなくなってきて、ガミガミと怒ることも少なくなってきました。
3歳にもなれば、親が言っている言葉を理解し、集団で生活することも増え協調性が出てきます。
それでもまだまだ甘えたい年頃なので、筆者も気持ちを汲み取ってあげて、時にはわがままも聞いてあげています。
しかし、駄目なことは駄目。
そこは譲りません。
これは人から聞いた話ですが、走り回りながらご飯を食べ、それを注意しないママがいて、お友達の子もそれを見てマネをします。
お友達ママは自分の子だけに座って食べなさいと注意しますが、「なんであの子は叱られないで、自分だけは駄目なの?」と子どもの純粋な質問があがっそうです。
注意しないママは、自分の子のことを諦めていて、「どうせ注意してもうちの子聞かないから」と放棄していたのです。
それを聞いて、その子が気の毒に思えました。
子どものベースをつくってあげるのは親の責任です。
それを初めから諦め、なるようになるという甘い考えでいては、まわりの大人や子どもにも迷惑がかかります。
これは「叱らない育児」ということばだけが独り歩きして、親が勘違いしている事が多いのです。
昔の育児はどうだったのか
「叱らない子育て」という言葉が広まりだしたのは2010年頃からのこと。
それ以前からも「放任主義」「のびのび子育て」などの言葉が流行したこともあったそうです。
その反面、周囲に迷惑をかけること、マナーやルールに反することについては、しっかり叱るのも親の役目だとほとんどの人は考えているはず。
そもそも叱るとは、「子どもを正しい方向へ導くために、注意すること」です。これは子どもを自立させ、将来社会へ送り出すことを考えれば、とても重要なことです。
「叱らない子育て」であっても、「子どもを正しい方向に導く」ことは、しなければなりません。
間違った「叱らない育児」の先には
もともとの「叱らない育児」で言われているのは、子どもがいけないことをした時に叱るなという意味ではなく、
「生活習慣や苦手なことは、叱るより工夫や励ましで克服しよう」
「できていないことばかり叱るのではなく、できていることにも目を向けよう」
というもの。
それを「何をしても叱らなくていい」と勘違いしてしまうと、将来に善悪の判断やルールを守ることが身につかず子ども自身が苦労します。
そこで親が「あの時しっかり叱っていれば」と悔やでんでももう手遅れなのです。
叱るときは感情をのせない
子どもの毎日は初めて出会うモノや人・状況の連続。
いいのか悪いのか分からないままやってしまうことや、悪いと知っていてもついやってしまうことがきっとたくさんあるはずです。
そんなときに、「これはいけないことだった」と分からせて、「いけないことをしたら謝り、自分がしたことの責任を取る」という行動をくりかえし教えることがしつけであり、叱ることです。
ただしその時の注意点ですが、決して自分の感情をのせないこと。
この子のせいでという腹立ちや、他人の目を機にする焦りや恥、何回言わせるのというイライラといった感情を子どもにぶつけてしまうと「叱っている」のではなく「怒っている」状態になってしまいます。
大声で怒鳴ったり親の感情をぶつけたりしないというのが本来の「叱らない子育て」の考え方。
また、このように全く叱らないままでは、子どもに「何がいけないことか」「いけないことをしたらどうするか」を教えないことになり、貴重な学びのチャンスを奪ってしまいかねません。
あとがき
何がよくて何がよくないかを子どもに伝えるには、まずは親の姿を見せることが一番大切だと感じます。
わが子にも「危険」や「迷惑」の基準をハッキリ示すためにも、勇気を持って、正しく叱ってあげたいですね。